2009年10月30日金曜日

大会で講演していただく塩見直紀さんのプロフィールを紹介します

1965年京都府綾部市生まれ。
大学入学の年から99年まで、伊勢、大阪、京都で暮らす。

10年間、株式会社フェリシモの非営利部門(教育、企業財団・研究所)に在籍。「生き方と環境問題」をテーマとする。※33歳で新しい人生を始めようと28歳のときに決めていた。「種子(た・ね)」「在来種(エアルームシード)」「自家採種」等の観点から、21世紀の生き方、暮らし方を考える「たねっと」(NPO)を始める。

1999年、約15年ぶりにUターンで帰綾。(偶然、それは母校の閉校年)
2000年、半農半X研究所設立。
2002年7月、農文協『青年帰農』(現代農業増刊号)で「半農半Xライフのススメ」を寄稿。2003年1月、日経新聞で半農半Xが紹介されたことがきっかけで、同年7月,ソニー・マガジンズより『半農半Xという生き方』を上梓。朝日、読売新聞等の書評で紹介される。アマゾン最高位82位(?)。

2004年11月、NHK「難問解決!ご近所の底力」(テーマ:田舎暮らし)で「半農半X」が“妙案”として全国に。
2006年1月、『半農半Xという生き方実践編』(ソニー・マガジンズ)を上梓。BS朝日「ハッピー!ロハス」出演、06年10月、『半農半Xという生き方』が台湾で翻訳出版。
2007年2月、半農半Xデザインスクール、スタート。同4月、朝日新聞「ニッポン人脈記(「ゆっくりと」)」で紹介される。『綾部発半農半Xな人生の歩き方88』(遊タイム出版・07年10月)、『半農半Xの種を蒔く』(種まき大作戦との共編著・コモンズ・同11月)。
2008年6月、半農半Xカレッジ東京、スタート。8月、『半農半Xという生き方』がソニー・マガジンズ新書となり、再デビュー。08年11月、「半農半Xデザインブック(1)翼と根っこと」作成。
2009年3月、「半農半X版 就職しないで生きるには@大阪」開催(今度、定期開催へ)。
http://www.towanoe.jp/xseed/(個人サイト)

基本スタイル:我々はすでに持っている。“あるもの”で発信しよう。次から次へと表現しよう。発信、発信、どんどん発信。座して死すべからず…。Local value but 21c century value

2000年5月より、都市と農村の交流、定住支援などをおこなう「里山ねっと・あやべ」の情報発信担当(契約スタッフ)。二十四節気の日にメイルニュース「里山的生活」を配信中(無料)。※綾部里山交流大学2009も開催します。

公式サイト http://www.satoyama.gr.jp/
メール xseed@maia.eonet.ne.jp

2009年10月27日火曜日

塩見直紀さんの著書「半農半Xという生き方」から気になるワードを拾い出しました

塩見直紀「半農半Xという生き方」より抜粋

「半農半X」とは、
小さな暮らしと充実感ある使命
半自給的な農業とやりたい仕事を両立させる生き方
天の意に沿う持続可能な小さな暮らし(農的生活)をベースに「天与の才(X)を世のために活かし、社会的使命を実践し、発信し、まっとうする生き方

小さな暮らしとは、
たとえどんなに小さな市民農園、ベランダ菜園でもいいから食糧を自給していくものであり、消費意欲を「楽しく」抑えたシンプルなもの
「人間なら誰しも自分の好きなこと、得意なことを持っているはずだ。天職とか、使命と考えてもいい。才能を活かして何らかの役割を担うことは、人として生かされている神秘に対する恩返しだと思う」
田舎で「半農」の暮らしをしようとすれば、原則的に生活は「生活収入少なく、心の収入大きく」になる

塩見家における買い物の判断基準(食料品を除いて)
「それは必要なものか」、「それは長く使えるか」、「それは一生のものか」、「それは他者や環境に配慮したものか」

塩見家における必要なもの、必要でないもの
必要でないもの
電子レンジ、クーラー、携帯電話、ペットボトルは意識的に買わない、外食はほとんどしない
必要なもの
パソコン、豆炭ごたつ、石油ストーブ(家のつくり上)

「日本文化とは階段を上る文化ではなく、しずしずと、階段を背から一歩一歩下り、不要なものを一枚一枚、剥ぎ落としていくような文化ではないか」(地勇社 増田正雄)

引き算の暮らし
時代は、「足し算の時代」から「引き算の時代」にシフトしている
贅肉を削ぎ落とし、小さい単位の制度と洗練性を追及する時代

「スケールメリット」から「スモールメリット」追求への転換
足るを知る

お金の使い方は選択と集中
仕事も選択と集中

使命内か使命外か(使命外だからといってやらないのではない)、自分がやるべきことなのか、他人でもできることなのかの判断
農業に傾斜して行ったのは、環境問題を解くひとつの鍵だと思ったからだ

田んぼは思索空間
「哲学の道」ならぬ「哲学の田んぼ」と呼んでいる
田んぼには、生命の多様性の発見がある

人は大人であれ、子どもであれ、自分が誰かの、何かの役に立っていることが実感できれば嬉しい
在来種を「エアルームシード」(先祖伝来の宝=家宝)という

ある投稿記事
三種類の色のシールを額に貼ってもらった園児たちが、同じ色の者同士でグループをつくるゲームだ。園児本人たちは自分の額に何色のシールが貼られているか分からない。投稿者がどうやってグループをつくるのだろうかと心配していると、一人の子が同じ色の園児の手をつながせていった。手をつないだ二人はお互いの額を見て自分の色が何色か分かった。最後にその子だけが残ったが、その子は同じ色のグループからすぐに呼ばれた。投稿者は「このゲームは自分のことだけ考えていたのでは解決しない。自分はさておき、人の世話をする者が現われてはじめて事が進む。人の世話をすることこそが、自分のかかわっている問題を解決する最良の最短の方法であり、自分のためにもなっているのである。そのことに私たちはなかなか気づかない」と書き、「そんな賢い子が地球上のいたるところにいるだろうと考えることができるのは希望である」と結んでいた

give and give (与え、さらに施す)
give and forgot (施したことさえ忘れてしまう)
「放てば満てり」(こだわらず、解き放つことで、自由になれる)
ダウンシフティング(杉本良夫=オーストラリア・ラトローブ大学教授)
国民総幸福生産(ブータンの王国理念)
経済成長に依存しない豊かな暮らし方、生き方

人間は「分」をわきまえながら、かつ天分を活かし、志高く環境問題に積極果敢にチャレンジせよ(中村桂子=JT生命誌研究館館長)

「分」が農で「志」がX
永続して生きていくための「小さな農」、「天与の才」を世に活かし社会的な問題を解決するための「X」

バリ島型の社会
朝早く水田で働いて、暑い昼は休息して、夕方になるとそれぞれが芸術家に変身する。毎日、村の集会場に集まって、音楽や踊りを練習する。あるいは、絵画や彫刻に精魂を傾ける。そして、10日ごとに祭りがやってきて、それぞれの技を披露し合い、村人たちが集団トランス(恍愡状態)に入る。村人一人ひとりが農民であり、芸術家であり、紙の近くにも行く。つまり、一人ひとりが実存の全体をまるごと生きる。

バリ島モデルを人類社会のモデルにできないか模索中

なぜ、「農」と「X」の二つが必要か
農が天職(「X」)を深め、天職が農を深めるからだ

農は自然や感受性をも意味する生命を育む感覚を知り、生命の循環に目を見張る、動物や虫が死んだり植物が枯れたりという生と死の世界を垣間見、もののあわれを感じる、悠久の自然とはかない人生を比較する、あるいは、美しさに感動するといった、人間にとって大事な感覚、感性の源泉がそこにある

全人的な生き方の最も大切な基礎は、自分を守る知恵をもつことと、ひと仕事を達成する力量である(守る知恵が農、ひと仕事がXと捉えている)つまり、保守と創造の能力をバランスよく持つことだ

「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨創」。雨が降ったら読書ばかりでなく、頭を使う創造的活動をしようと言っている(川喜田二郎=文化人類学者)

健康は「全身運動」だけでなく「全心運動」によって支えられている

センス・オブ・ワンダーを育んだ人は人生に疲れることはない

締め切りのない夢は実現しない
余命数年と自己設定する

自分探しとは、「天与の才」つまり、「X」を自分の中に見出し、世に活かすこと。それは人生が終わるまで続くこと
「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」を明確に選別し、フォーカスする

ゴールは、多くの人たちと一緒に自分の「X」を見出していくこと、こういう生き方もあると世界に伝えていくこと

真の幸福はまず自分一人が楽しむことから始まり、選りすぐったほんの一握りの友人との交際で育まれる(ジョーゼフ・アディソン=詩人)

「空間っていろいろなところに広がっています。室内空間もそうですし、音の中や、頭の中世界とさまざま。その中には自分が一番心地よいリズムがある。どうやってリズムを見つけるかはその人それぞれだけど、僕は空間に広がるノイズの中に、あるきっかけを見つけ、そこから身体の中に感じるものにのっていく。頭で考えてはダメ。思考は感情を増長させ、観念をつくり出す。観念はいろいろなものを区別し、変化を求めるような気がします。変化を求めるのは、今を否定すること。感じるものを大事にすること。そのためには自分の好きな空間に身をおくことが大事だと思います。そして、感覚は自分を成長させ、進化させるんだと思います」(ハタノワタル=紙漉職人)

「半農半X」はシンプルな哲学になっていった
創作は自然生活の中から生まれた副産物で創作活動がけっして第一の目的ではない。生活そのものが創作を導いているのだ。農業も自然との対話の手段であり、収入が目的ではない(駒沢敏樹器=街を離れて森のなかへ)

志農工商
最初に「志」があり「農」のある暮らしがある。そして、「工」である創作活動を行い。それをどうマーケティングするか。これは、「商」だ

地域性と多様性の掛け算が大切。社会との関係があってはじめて自分のミッション(使命)が浮かび上がってくる

始まりは、自分の好きなことをするという決意から
don’t(あれもダメ、これも) からlet’s do(やってみたらいい)の提案型教育へ(日野原重明)
使命感は人々に活力をもたらす
半農半Xの半Xの理想形のひとつはコミュニティビジネス

センス・オブ・プロポーション=ほんとうに何が大事か分かるセンス
人間には自然へのセンスと何が大事かというのが分かるセンスが必要

大事な考え方
「センス・オブ・ワンダー」「使命多様性」「世代」「小さな暮らし」「オンリーワン」「与える社会」

遠慮とは遠い未来への配慮

農業に従事している人の中には、専業でありながら社会的な「X」を持っている人も多い
農業だけで食べている人が必ずしも心の平安が保たれているとは思わない、なぜなら、公益性のある社会的な活動をしている人が多いから

「ビジランティア」

環境問題を考えてきて、最後に辿り着いたところが、「人は何で食べていくか」の問題だった。環境にインパクトを与えない暮らしをしつつ、何でお金を稼いでいくか。これは人類の課題でもある。

田舎暮らしをするにあたって、生計をすべて頼るための全農になるのはたいへん難しい。まずは身の丈に合った農を目指すのがいいと思う

田畑に耕作者の人となりが表れる(ニューギニアのオロガイヴァ族)

半農半Xは夢の自給率を上げる生き方、夢に限らず、問題解決型の生き方であり、未来を予見する生き方であり、危機を好機とする生き方である。それは自分の心の問題を解決するだけではなく、人が抱えた難問をも同時に解決する生き方である。